私は開新堂の見守りマスコット
「ガネーシャママ」です。
~プロフィール~
2人の子育て真っ最中のアラフォーママ。
趣味:ヨガ
マイブーム:家族で行く魚釣り
開新堂の新しい女性STAFFです。
宜しくお願い申し上げます。
家の顔は大事です。
表札が汚れてしまい戸主様の名前が見辛くなって新しく掛け替えられるお客様も多くいらっしゃいます。
環境によって痛み具合の差異はありますが戸主様の存在をアピールし家が引き締まった形になるのが不思議な魅力でもあります。
玄関は古来より神社の鳥居に準えて考えられます。
鳥居の真ん中には神社名が書かれております。玄関も不浄を嫌いますから盛り塩などをして厄除けをします。お葬式の帰りに身体に塩を撒く事もあります。
家の中と外では結界があり外から不浄を入れたく無い精神は靴を脱いで家に上がる文化から既に衛生面でも優れた習慣を持っていると思います。
戸主様の名前におまじないをかけて家の御守りにする。
素敵な事ですね。神様は常に新しく生まれ変わる「常若とこわか」の精神が宿りますから板が黒ずんてしまったり文字が取れてしまった等様々な理由で表札を掛け替えて新しい気持ちで家と家族を愛して頂きますと幸いです。。
打ち上げ花火は徳川吉宗が江戸に飢饉と疫病患者が大量に出た為励ましと労いを込めて打ち上げた慰霊の花火だったと聴きます
。
とりわけ日本は昭和20年8月、原爆が落とされ敗戦を迎えお盆も重なります。ご先祖様が居ない人は一人も居ない様に居なくなって良い人も居ません。
今はひたすらに願い清め祓われる事を切に願って暑中お見舞いの挨拶に変えさせて頂きます。
比較学の世界では花と人間との共通項を見出してございます。
芽と目。
葉と歯。
実実と耳。
花と鼻。
「咲」は「笑」の古字です。
花開く姿は人間が微笑む表情に似ている事に由来します。
本来身体とは伽藍堂(がらんどう)で空っぽの器に魂が入って初めて身体(からだ)として機能していると言われます。
印章も字を入れる前は無機質なモノですが篆刻をしてその人の黒子として活躍する覚悟を入魂して一つの分身に作り上げて祝詞を挙げるとようやく自然界に溶け込んだ分身を作り上げる事になります。
人間学の基礎は自然界の理(ことわり)を理解して美しい人生を謳歌して頂けなければならないと日々お客様のお話しに耳を傾けて鋭意篆刻させて頂いております。仕事場をリニューアルして一層深く質の高い印章作成に集中できる様邁進させて頂く所存です。
「氣」
という漢字が御座います。
「人気」「気配」「殺気」など目に見えない人間の内発的感情に訴えかけられる時に使われます。
しかし、気付けば「氣」は間違い無く目に見えています。
今迄、草むしりなどした事無かった店のオーナーが店をリニューアルする為、閉めて一ヶ月。
そこは鬱蒼とした緑に覆われました。
「人が氣を発しない場所は真空」
と自然は捕らえ真空を埋める為人工で作られたアスファルトから根を張り草で覆われます。
「氣」は確実に可視化出来、気付きを与えてくれます。
縁起物として使われる印鑑は一番「氣」を大事にします。
氣の会意は雲や大きな器を意味する「气」と穀物の根幹である「米」が甲骨の源流なので形而上の出来事は殆ど「氣」で完結している様に思えます。
昔の人が淵が欠けると縁遠くなるとかヒビが入ると身体にメスを入れなくてはいけない事象が起こるなど子供だった私にはオカルトにしか思えなかった事が年齢と共に甘受出来る様になりました。
そんな畏怖の念が恐らく「氣」の存在を包括的に俯瞰出来たからに違いないと感じます。
常若の精神で精進したいですね。
古代シュメール時代の文字は楔形文字(くさびがたもじ)と言い粘土書板(ねんどしょばん)に葦(あし)などでつくった筆記具の尖端を押し付けて記して神殿に奉納する品物(穀物、牛や羊、魚、奴隷など)を彫り込んで意思表示しておりました。
つまり文字は意思表示の証であり祈りの象徴でもあった事が分かります。
象形文字の原型は篆刻から始まったと言えます。
私達の名前も戸籍法に基づき様々な出自を国に担保してもらっていて実印登録は15歳から可能となっております。
これは江戸時代15歳は元服を迎え男性は戰に赴き女性は子供を設けて畑仕事を手伝うなど社会に参画していた名残りであろうと推測できます。
「人の歩みに歴史あり」と言われる様にとても様々で誰もが直線的に成功したり願いが叶ったりはしない様に色々な寄り道をしながら日々の生活を送っています。つまり人生は山道と同じだと思います。
誰もが目指す山頂は同じですが登る道が違うだけで目には見えませんが曲線を描きながら知って行くのです。
弊社の印章は手彫りなので必然的に曲線を多くして様々な経験をして頂きたく縁に接点を計算してお客様の歴史に経験を刻み込みより深い人生を歩んで頂きます様日々精進してまいります。
弊社で印章をご注文頂きますともれなく家相相談と新生児の命名をご依頼頂いた場合、サービスとして仰せつかってございます。
昨今は結婚式や新婚旅行へ行けない代わりにマンションや戸建ての新築を購入されるご夫婦も増加傾向にありますね。
同じ建てるなら安心して大きな買い物をしたいと思われる方がお声掛け頂いております。
例えば国内でも領土を護る時代がかつて日本にもありました。
それについて、築城に当たり城主は必ず天守閣の屋根にシャチホコを一対鎮座しております。
どこの城へ行ってもシャチホコは欠かせないのです。
これは城が火事にならない様水に縁が深い偶像の魚に似た動物を神に見立てて築城されたものと考えられます。鉄が貴重で建物に使わない代わり火には最善の注意を払っていた事が分かります。
それに「家」と言う漢字は廟(みたまや)の中に「犬」が描かれており犬の死骸を土に埋めて家人の安寧を祈ったのです。
それが証拠に神社へ参拝すると一対の「狛犬」が鎮座しております。
人間に忠実な犬は番犬として現在も健在なのですね。
つまり、昔の人ほど「雨乞い」や「厄除け」はとても重要視されていた事が散見されますね。
時を経ても日本人のルーツは変わる事なく暦をベースに縁起の良い家を建てたいというお客様に寄り添いながら私も幸せのお裾分けをして頂いております。
かつて縄文人には刺青を入れる習慣があり厄祓いの為様々な模様を身体に入れておりました。漢字のルーツにも「凶」は死体に悪霊が取り憑かない様胸の位置に✖️と朱色の刺青を入れておりました。
呪禁(まじない)を加えることで現世で生きている人の安寧を祈ったのです。
縄文土偶にも刺青が至る所に描かれております。昨今大ブームとなりました「鬼滅の刃」の鬼達も様々な模様の刺青を身体に施してあります。
彫り師は刀を使いますからお客様の名前を彫り込む際、呼吸を整えて集中して作業します。これだけ日本人のルーツに忠実なアニメだからこそ沢山の人の眠っていた情念が想起されたのかと存じます。自身の身代わりになる御守りとして名前を牙や角に願を掛けて持ち歩く。
これが本当の懐刀と言って下さるお客様も多くいらっしゃいます。
何気なく過ぎる毎日に人知れず気付きを得て頂くと生き方やモノの捉え方に幅が広がること然りです。
砥石で研ぐ前の古い印刀は丁寧に研ぐことで又新しい命が吹き込まれます。
昨今改築等で時がかすれて見えなくなってしまった表札を供養して新しく掲げたいというご依頼を頂きます。
ご不幸にも亡くなられた方の表札はキレイに洗ってから塩を入れて和紙に包みます。縁起物の定義としては新しく手にする前に古き良きモノを敬ってから始めるといったところでしょうか。
弊社の表札は檜材で楷書体の書きを施してからコーティングニスを塗布しますから鳥の巣や虫の死骸など付着した場合早ければ濡れ布巾でキレイに取れます。
戸主様の生年月日に基づき御守り本尊の護符を表札本体の裏側に添付し別途の護符を御授けします。表札の左側には年号と十干十二支を記載致します。
何故なら家は人との歴史に密接に関わるからです。
大掃除の時や毎年掲げる正月のお飾りなどで必ず目にする表札。
あるお客様に「年号が記載されているともう10年経たのか、あの時のおかげで今があると言う感謝に満ち溢れる」とあの時何があったかをじっくり考えてこれからの時間を大切に生きて行こうと思われるようで昔話に花を咲かせる事もございます。家に居る時間が長い昨今、家の顔を見直す事も良いきっかけになるかと存じます。
人が幸せを感じ続けられる事とは「良好な人間関係を継続させること」と言います。
弊社で一番人気がございます象牙の横目は縁を呼び寄せるなどの事象がある事から牙の同じ部位から採掘する「共生地(ともきじ)」でご兄弟やご夫婦などのお客様が手にして頂いております。
別名「にちりん」とも言われ中心に描かれた円が太陽の様に明るく幾重にも輪っかがある印材は希少でお求めのサイズまでバフを掛けて油を塗り漸く綺麗な艶と円が浮き出る形となります。
人とのご縁がいかに大切なのか、今の現状で申し上げられる事は「目に見えない事を大切にする人に光が当たる」と思えるのです。
様々な人のお声をお聴きし40年以上お付き合い頂いたお客様が3世帯に渡り同じ印材をご指定頂きました。
これもご縁でありかけがえの無い財産であると確信致します。
弊社謹製の背ワニケースは本物のクロコダイルを使用しております。
革製品は使用するほど深みが増すもので、印章は長いお付き合いになりますから気づいたら20年という時間が経過している事もあります。
ワニは生物の特性上、獲物を捕らえたら離さず長生きすると言われる事から古くから採用させて頂いております。
印章は長いお付き合いです。深い想いを持ってご使用され安心して身を委ねられる様、ケースにも夢や希望を離さなず長持ちして頂きたい気持ちでご用意させて頂いております。
写真右は私が見本として持ち歩いている23年の歴史があるケースです。
沢山のお客様の手に触れて頂きこの様な深い色になりました。
新しい事を始めるには古き良きものを深く掘り下げてから初めて人格が決まると云います。ご自身の身を挺する鎧は時間を可視化出来る本物を纏って下さいます様お祈り申し上げます。
私達は命を授かり名前頂いて生活しております。先般お客様より「名前を象(かたど)る意味を本質的に意識する様になったのは自分の印章を手にした時からの様に思います」とお伝え下さった時に心から湧き上がる感動を覚えたのを記憶しております。
思い通りにならない事があっての人生。
しかし無意味な事は無く、背中を押して欲しい時に足元を見直し自分自身の棚卸しをしてみると色々な盲点が見えて来ます。
それが一番近い位置にある為気付けない。
自分の名前の由来や画数などを知った時に物事と言うのは流れ出す準備が整う訳です。
その上、古来でいう動物の骨やツノに厄除けの為の入墨を篆刻する文化が印章のルーツとなりますから自分の名前が鏡文字で形として手にした時に初めて受難を受け入れ器を広げ背中を押して差し上げる事が結果として良かったと言われる所以なのかもしれません。
私達の日常の生活は酸素があり大多数はインフラが整っており食べ物が不足する事は考え難い環境下にあります。
魚で云うと水の中で釣り上げられた時、魚が水を発見出来たという夢が叶ったと同時に苦痛も抱き合わせになっている事と似ています。
人間の社会において受難は俯瞰する器が用意された時に起きる事象です。近過ぎて見過ごしている自分の名前。大事にして頂きますと幸いです。
法人の角印は公(おおやけ)の組織が他者へ認めたという証で押印されるケースが多いです。神社から頂く御朱印も四角い形をした印章が多いですね。
これは城壁を四方に護られ中に居る人が安心して能動的に活躍出来る様古来から伝わったとも云われております。会社も神社も人に護られ人に施す。複数になる事により組織が強固になり法人は公に法律を守る存在。昨今では御城印も流行ってまいりました。賞状や認定書などにも捺印されている角印の意味する所以は興味深いものです。
一般社団法人自然環境研究センター様より象牙を扱う業者として正式に特別国際種事業者の更新させて頂きました。厳正な管理と法律に基づいた手続きは時間がかかりましたがそれくらい慎重に扱うべきのお品をこれからもお客様に安心してご使用頂けます様、登録事業者として邁進したく存じます。身を引き締めてこれからもよろしくお願い申し上げます。
弊社で吉相印章をお作りのお客様は「御守り」として持たれる方が多い為何か形になるモノが作れないかと考えた結果出来たのがご縁御守りです。一時期は和紙に捺印して財布に入れている方や神社の御守りの中に入れておられる方もみえました。一生物を作印された証を持ち歩きたいというお言葉に触れご縁が叶う様に新品の五円玉を添付し紅白の水引きは手作りであつらえてございます。裏面に押印する場所を設けました。お陰様で良縁に恵まれて又新しいスタートを切りたいと新しい御守りをご要望される事もございます。願いが叶ったら五円玉は氏神様の賽銭箱に入れて台紙は左義長で燃やして頂いております。印面は合鍵と同じですから細心の注意をして頂いておりますが良いご報告を頂く度ご満足頂いていると実感しております。新年度が始まり気持ちも新たに入れ替えて頂きますと幸いに存じます。
「あれを見よ 深山の桜 咲にけり 真心尽くせ 人知らずとも」龍源寺元住職松原泰道 生まれて老いて病んで死ぬ。これが究極の真理でありその真理の中で生かされている命を桜に見立て書かれた言葉には重みがあります。花は人間に綺麗と言われる為に咲く訳ではなく自然との約束で毎年間違いなく開花しますが深い山にも同じ様に人知れず咲き誇る姿は人の生き方にも通底している事を深く感じますね。見られていなくとも真心尽くして新しい年度を迎えたいものです。
春分経て彼岸が明け初午神事を終えると新年度です。生活を見直して整理整頓していると故人様や旧姓だった頃の印章が出て来ることもあります。ゴミ箱に捨てる訳にもいかず弊社でご縁を頂いたお客様の印章は手厚く無料で供養させて頂いております。自粛期間が長期だったせいか年末年始に沢山の旧印を預かり節分に一度印章供養致しました。今回は今年2回目の印章供養です。神道の教えは「常若(とこわか)」と言い常に新しく清潔で生きることを是としております。私達の身体も毎日再生し生まれ変わって行きますから「氣」の流れも常に新しく更新し次の世界へ邁進して頂きたく存じます。
仕事とは関係ない内容で失礼いたします。私の娘が小2の時より仰せつかりましたPTA役員も6年経て岐阜市PTA連合会様より表彰状を頂きました。自営業の宿命とも呼べる役務ですが私はとても楽しく他の保護者様や地域の皆様とはとても仲良くして頂き仕事上では出会えないシチュエーションに身を置けました。今年は殆どの学校行事が無くなってしまい広報委員の私は新しい先生や6月1日の入学式の様子を紹介するだけになってしまいましたが生徒さんが元気に登校し地域の皆様も温かく見守る姿はお金では買えない景色でもあります。現執行部の皆様も今年は何も出来ないから来年もこのメンバーで卒業まで役員を務めましょう。という話しにもなり仕事と両立しながらモチベーションを高めて行きたいと思いました。いくつになっても勉強だと思いながら前に進めていきたいと思います。
気が付けばお盆ですね。世の中が一変してから約半年。心も身体も疲弊してしまう様な有事の只中にある事は日々実感します。
とりわけ8月は鎮魂の日が多く如何に日々の暮らしが有難いモノに包まれているかに気付かされます。
2016年に放映された映画「この世界の片隅に」では戦時中の最中でも人々が普通の日常を人間らしく生き抜いている描写が散見され目頭を熱くしながらも学ぶ事が沢山ありました。昔も今も一つの共通点として「人は人とリアルに繋がらないと人間らしく生きられない」
事が気付けた気がします。私も気を付けながらお客様とお会いし沢山の笑顔と涙に触れて「縁」という不思議な繋がりは人間の計らいを超えた世界にしか存在しないのだと思います。
まだまだマスクは手放せない生活が続きますが熱中症に気を付けながら皆様のご健康をお祈り申し上げます。
連日ショッキングな報道が流れ、先が見えないコロナとの戦いを迎えなくてはなりません。
翻って視点を変えて歴史を学ぶと過去にも同じ様なパンデミックを我々の先祖は経験しております。
九星気学は統計学ですがここは一つの参考までにとチャートを学んでみました。
2020年は庚子(かのえね)年の七赤金星です。
この並びと同じ過去は180年前に遡り時代は江戸時代後期天保11年となります。
この年に清国とイギリスでアヘン戦争が勃発しております。
その後日本は幕末期となり安政元年に日米和親条約を交わし鎖国から開国へ舵を切ったのです。
その後安政4年にインフルエンザが流行し約2万人犠牲者が出ています。
翌年にはコレラが流行し1万人亡くなっておりまた翌年ははしかが流行し7000人亡くなっております。
ちなみにインフルエンザやコレラは現代でも根絶に至っていません。豚コレラなどまだ記憶に新しいくらいです。投薬で治癒に至るのも医学と免疫学の進歩があるから大パニックに至らないだけなのでしょう。
とりわけ、日本の産業はグローバル化して私達の生活は安くて良い物が手に入り、手頃で美味しい食べ物も口に出来る様になりました。インバウンドも数年前からオーバーツーリズムで沢山の観光地は潤いました。
しかし副作用として同じリスクを抱えていて昨年の11月から派生した新型のウィルスまで輸入してしまったのです。
私達が享受していた当たり前の日常が実は沢山の犠牲の上に成り立っていた事実もこの自粛期間にゆっくり考えるチャンスでもありますね。
日本には時給自足出来る田畑があるのに空き地にはソーラーパネルが並び、野菜も農協と兼業農家の人がコツコツ作ってくれています。
日本人の多くは気付いていますが政府には誇大な期待はしていません。
しかし歴史を学べば同じ危機を経験しても日本人は必ず再誕しているのです。
東日本大震災も七赤金星の年でした。
水の流れが変わり安全だった筈の原発が破壊されました。
に見えない放射能で東北の人は多大な被害を被りました。
「絆」という言葉が世界中を駆け巡りましたが実は表層的な繋がりでは無くて精神的な繋がりが本当の絆であり今、老若男女が不安を抱える中救いなのはやはり人なんだと思いますし、いつかは収束するに違いないと考えます。
私はそんな日本人に期待していて日本が大好きなので「再生」を信じて人間関係は物理的距離を取りながらも精神的には超濃厚接触で絆を深めて行きたいです。
拡声器で、言論の自由や主張を叫ぶ人を沢山メディアで取り上げられた昨年は喧騒の中で何を摑み取れたでしょうか。自由を主張し過ぎるあまり不自由な現象が起こり結局言論の枢軸が感情論に歪められた機運にもなりました。
私は人の話を聞く際、話している時より押し黙った沈黙に注目しています。カウンセラーは言葉よりもその人の真意を知るべきなので表の顔より裏にある真実に目を向けているのです。令和二年七赤金星は「立て直し」と「始まり」です。平成23年3月11日東日本大震災が起きた年と同じ七赤金星ですから当然震災や天災にも気をつけなければなりませんが一番気をつけなければならないのは無責任な「流言飛語」です。フクシマに付いては今でも風評被害がありこれは全て人災で元凶は「無責任な言葉」です。一つの現象に誰かを悪者に仕立て上げて一つの正義を唱えて叩くのが今までのロジックでした。今はLINEやTwitterがありますから無責任でソースの無い言葉は淘汰されて行きます。七赤金星の事象は「欠落した自由」とも言えるので上っ面な言葉に流されない意志を持った人が充足した時間を過ごせるのでは無いかと思います。5GAI自動運転など様々なテクノロジーが身近になり健康管理の為、身体に人工チップが内蔵されるのも日常になるかもしれません。今までの価値観を揺るがす何かが主流になる子年には必ず布石になるものが誕生しております。
九星氣学では春分が新しい年の切り替わりとなりますから厳密には2月4日から新年となります。さて令和2年七赤金星の今年は水を司る一白水星は北東の鬼門に入ります。
私達を生かしてくれている水の流れが変わるという意味があるのですが、命を奪う事もあります。
それが9年前3月11日に起きた東日本大震災です。
平成23年も同じ七赤金星が中宮にあり一白水星は北東にありました。
同じ事象が起こる訳ではありませんが水は財産と言う考えからするとお金の流れが大きく変わる事があり得ます。
日本人が大切にして来た文化とテクノロジーが複雑に入り乱れる時代の黎明期となる感覚は覚えます。
医療とAIが融合し私達の体内に人工チップが埋め込まれる様になり病院に行かなくてもスマホで健康管理する時代の幕開けだったり固有財産も電子決済が拡大し政府がマイナンバーを検索すればキャッシュフローがデータ化され把握出来る時代も始まるかもしれません。
しかし神話をベースに生きて来た日本人には全て無駄が蕩尽されるわけでは無く社寺仏閣への忠誠心はますます高まります。
例えば古代中国。孔子に基づく教えに「儒教」がございます。
儒教の「儒」の字には「雨」が入っております。実は孔子の母親は雨乞いの審神者(サニワ)を生業としていた事が垣間見れます。農作物が財産だった時代雨は命の水でした。
古代日本にも雨乞いの祈りが伝わり土地の神様に恵みの雨を祈祷し文化が伝わりました。
人間は形而上のロスが無くなると安心する反面、未来を悲観する矛盾を持っているからです。子年は広がりを意味します。iPhoneの上陸も12年前の子年平成20年でした。オリンピックパラリンピック開催という祭典の中支える人の底力に注目を向けながら改革のクライマックスを見つめていたいものです。
令和元年もあと僅かとなりました。
12支で一番最後の亥年は「暴露」と「炙り出し」等と言われ、悪い事は曝け出され浄化すると言う意味があります。
八白土星が中宮に入る事で大きな変化を致しました。
平成31年は4月で終わり令和元年の正月は令和二年と言う日本人はかつてない異例な経験を致しました。
今上陛下が昭和35年子年であられる事も単なる偶然では無い様に思います。天災や事件、不祥事など悪い事しかニュースになりませんがあの東日本大震災を経て来年で9年となり又同じ七赤金星の年回りとなります。平成23年の漢字は「絆」でした。絆を謳いて9年。
小さな印鑑屋が気付いた事…確かにあの時の日本人より今の日本人は賢く温かい人は多くなった気がします。身近な人との繋がりや自然に対する畏敬の念。モラルなど一部報道では日本人の道徳壊滅的等と言われておりますがそうは思いません。悪い所を切り取れば印象操作されて当然ですがそれを包摂して総合して見れば日本人は決して辱めを受ける様な人種ではなくこの9年で成熟したのだと思います。次の時代を次の世代に託して明るい未来を想像したいものです。
昼はネクタイを締めて営業や商談をし、夜は作務衣を着て印鑑を彫る」
こんな生活をして早20年の歴史を刻んで参りました。10代後半の職人上がりの人間が営業をするなど考えもしなかったのですがお客様との来し方行く末を聴きながら依頼された商品を一貫して仕上げて納品するといった作業は思った以上にやりがいを感じております。
人類が誕生する前から光と影は存在しその規範は逸脱する事無く私たちの暮らしの中に溶け込んでおります。
足りないから欲する
必要だから提供する
闇だから光を欲する
この原則は破られる事がありません。
印鑑は影という比喩をされる事がありますがその通りです。
夜一人で人知れずその人が快活に動けるよう祈る様に腰を落ち着けて篆刻に集中出来るのは昼に色んな方々にお会いして光を見つめる時間があるからに他なりません。
誰もが明るい方向を向いて生きているのですがその裏側には闇を纏っていて、しかしその闇が無いと人は防衛本能を失います。
闇とは向かい合って生きて行かなければならないのです。
それならば少しでも楽しく生きて頂きたい。その為に九星気学や姓名判断などがあり印鑑に具体的な呪術的な彫りを加える事で車の両輪の如く花道に変える事が出来ればと祈念し今日も夜は人知れず印刀を握っております。
印鑑だけで無く弊社は表札も扱っております。
戸主様をはじめその家に住まう方々の安寧をお護り頂く為、玄関に結界を張り厄を祓う意味で掲げて頂きます。
印鑑は篆刻しますが表札は手書きのみでニスを薄く塗布しながら5回重ね塗りするので天気との相談になります。
人様の名前を書き、表札を玄関に捧げる行為は世間様への名披露という事で家が発展する事を第一に考えております。
お護り本尊のお札も裏側に添付し火打石を擦って手を合わせます。
捺印は影に隠れておりますが表札は名の通り表に戸主様や後継ぎ様の名を披露する事で家は神社を擬態化させた作りになっていきました。
その発祥は応仁の乱が起こった室町時代からと言います。
将軍家と管領家の後継者争いで権力にほだされた結果、京都は焼け野原になってしまいました。庶民は将軍だけに依存は出来ないと行って京都から離れて天皇陛下を崇拝する神社を各地で建立し家柄に拘りを持つようになります。
後継ぎを誕生させ独立自尊の祈りを家に頼る様になってから家紋や表札文化が定着しました。
神社の鳥居の真ん中に神社名が書かれた門札を擬態化させ、茶室を作り能の舞台である床の間も室町時代の名残りでもあります。
現在では個人情報の関係で表札を掲げていない家も多いですが、地域によっては古式ゆかしい神社を崇め、三世代同居なども存在します。郷土を愛し先祖を敬う心の形が彩る人々の営みは美しく、幸せを享受されておられる様に思います。
印鑑は国の制度と直結しておりますが表札は義務的な縛りはありませんがどちらにしても通底している事は「縁起物」としての認識が高い物となりますから日本人としての矜持を忘れたく無いお客様がいらっしゃる限り私も心を込めて手書きのみで作業させて頂いております。
昨今「目に見えない事以外はムダな事」という風潮が蔓延しています。
時代の流れは大きく変わっていてスピードがモノの価値であるかのような錯覚に陥りがちです。
例えば「墓仕舞いをする、葬式は無駄」など良く聴くフレーズです。私のご縁がある方からお聞きすると墓仕舞いをしたらその家が離散してしまったというショッキングな事象が起こったり思わず不幸事に巻き込まれた人がいたなど耳にします。
確かに面倒な事は無くなりますが人間社会においては必ずしもスマートな事ばかりは起きません。寧ろ面倒な事の方が多いのです。
話が変わりますが政府は2018年デジタルガバメント推進方針で公的機関での捺印を見直す議案が出されたのは記憶に新しいです。今年になりデジタルファースト法案という名になりマイナンバーを積極的に使用し引っ越しや法人設立、死亡届けなども簡素化するといった案です。
しかし法人設立に至っては24時間以内に拙速と法人を創りたい会社が多くなって良いものなのか、そんな会社がまともな社会貢献が出来るのだろうかと日弁連や司法書士会は疑問を呈しております。全てをスマート化する事は日本人としての深淵な知恵や矜恃まで失落してしまう危険もある事が散見出来ます。
法人登記は商業登記法で定められている列記とした法律行為です。印鑑登録も地方自治法2条の身分証明の裏打ちです。これには全て印鑑が必要なのですが
そもそも印鑑の役割は何?
と聞かれたら私は真っ先に「意志の担保です」と答えます。デジタル上でモノを買う場合、指紋認証や暗証番号は身分証明の代わりですが意思決定を下すには最終的にクリックが意思の担保となります。それがリアル社会での手続きになりますと遺産相続や請求書、収入印紙の割印が無いと金融業務が出来ない公的機関もあるくらい印鑑には不思議な効力があるのです。つまり、国会で閣議決定された批准書は宮内庁へ行き天皇陛下が御名御璽の国事行為をしないと国が成り立たない仕組みになっている事が日本国家の縮図です。有史以来連綿と続く手続きは無くなる事はありません。
細かい部分は割愛されますが土地の名義や贈与、相続、裁判書類に印鑑はこれからも必要になります。面倒な事ですが昔の人はこの面倒な事を厄祓いのつもりで押印し御守りとして大事にしておりました。前述した墓参りもこのお彼岸に一族郎党集まって先祖の御霊に感謝して日頃の安寧に感謝した儀式だと思うのです。印鑑も国の制度として決められた賜物ではありますがそれ以上にその人を代表する影の立役者として一生モノを大切に使用したのは必要だからだけではなく目に見えない畏怖の念を感じていたからに他ならないと思うのです。戦前にあった「論語」の心を見つめ直してみたいものです。
毎日新聞引用https://mainichi.jp/articles/20190426/k00/00m/040/159000c
捺印する際、何故朱肉を使うのかというご質問がございました。
印鑑文化は倭国から始まり、漢字の来歴とほぼルートは同じです。
翻ってドイツの哲学者ニーチェは「書かれたもので俺が信じるものは、血で書かれたものだけだ。血で書け。血が精神であることがわかるだろう。」
と「ツァラトゥストラ」の中で言葉が持つ熱い気概を説いております。
キリスト教では血液も臓器の一部だと言う教えもあるせいか西洋でも血で書く事が本当の言葉がもつ意味である様です。
かつて日本にも忠臣蔵で知られる吉良邸討ち入りの際赤穂浪士が血判状を押して浅野内匠頭の仇を討ちました。また、先の戦争で特攻隊の英霊方がお国や天皇陛下に対しての忠誠を誓う為血判状で散華した史実がございます。
それだけ捺印は身を清める崇高な行為である事がわかります。自身の名前を厄除けの意味で彫り込み、朱の色をした魔除けで「間違い無い自信」が身に着くのです。
SNS全盛の昨今では「言葉が血肉になる」意味を掴みとるのは難しいですが、今一度あなた様の名前が形になる過程を想像して豊かな人生に昇華して頂ければ幸いです。
漢字もひらがなも楷書体の元となる篆書体を用いて八方位にバランス良く接点を計算して下書きをして鋭意篆刻を致します。
曲線が多いのは人生は山道と同じで様々な寄り道をしながら成長して行く事を願ってのことです。
機械が出来ない事を人の手で加える事で弊社の印鑑を手にしたお客様が華々しい活躍をしておられます。
令和時代に入り天皇陛下の即位儀礼の一環で、十一月の大嘗祭(だいじょうさい)で使う新米を栽培する「斎田(さいでん)」をどの地方にするかを決める際、皇居・宮中三殿の神殿の前庭で行う儀式では亀の甲羅を焼いて占う「亀卜(きぼく)」という伝統的手法が用いられ、斎田のうち東日本の「悠紀田(ゆきでん)」を栃木県に、西日本の「主基田(すきでん)」を京都府に設けることが決まりました。
五穀豊穣を祈念し亀の甲羅を火で炙りヒビの入り具合でどこの地域で収穫出来るお米をお供えするかは日本古来からの占いが現在でも用いられております。
「印鑑に入る文字は何故こんなに分かりにくいのですか。」
と聞かれた事がございます。
古来日本の文字は漢民族から入った漢字の前に「ホツマツタヱ」という教えがありホツマ文字には一つ一つに呪術的な意味が内包しているので厄祓いの為、身体に入れ墨をしていたという文献がございます。
本来漢民族や他国の民族史を観ると神に対する畏怖の念から入れ墨を入れて生活していた事を学ぶと印鑑は自身の分身であり名前を形として遺すには彫りの文化=呪術的概念が存在するのです。
漢字もひらがなも楷書体の元となる篆書体を用いて八方位にバランス良く接点を計算して下書きをして鋭意篆刻を致します。
曲線が多いのは人生は山道と同じで様々な寄り道をしながら成長して行く事を願ってのことです。
機械が出来ない事を人の手で加える事で弊社の印鑑を手にしたお客様が華々しい活躍をしておられます。
九星氣学をベースに印鑑を作印していると自然の理には無駄が無い事に驚かされます。その偉大さを説く偉人もかつて沢山おりました。
とりわけカウンセラーとして10年「老子」の教えはは癒しでもあり深い含蓄が感じられます。
例えば水の精が一番最初に来る「一白水星」には水は最高の存在だと説いている件がございます。人が嫌がる低いところへ流れて行き柔らかく弱い存在であるかの様に思えるが実際には岩をも砕く強さがある。
水は弱く争わない存在であるが、結局は勝利を収める。中途半端に強くなろうとせず敢えて弱さを貫くから環境によっては蒸気になったり滝になったり氷になったりと主体性がないものに身を変える事が九星の中で一番最初に必要な存在として君臨するのが一白水星と言えます。
酸素と水がある事であらゆる生物に命を与え、とりわけ人間の身体には水は必須です。
濁りのない清らかな水が生物を生かすことから「一白水星」と名付けられたのかもしれません。
海辺に住むお客様との商談の帰り道に少しだけ老子の教えに浸りながら海をカメラに収めてみました。
暑中お見舞い申し上げます。
2019年も後半になりました。
八白土星亥年らしい大変革は予想を遥かに超えるものでした。
「令和」が発表されると変化のスピードが速くなりました。
2020年七赤金星子年の始まりに備えて様々な準備が整いつつある兆候ですね。
存在を与える干「己(つちのと)」は充満と大地を意味し、十二支の「亥」は突進のエネルギーです。
自我を持つ事で人々の不満がピークに達している状態です。
例えば芸能の世界でも大きな看板さえあれば既得権が自動的に着いてくると言った活動が不可能となりタレント個人のスキルが無いと持続不可能なスキームが出来つつあります。
先の参議院選挙でも大きな「怒り」を持った新しい政党が議席を獲得し、既存政党所属議員の既存支持者への訴えより政治に興味が無かった層に訴えかける動きは溜飲を下げたい人には呼び水となりました。
絶対揺らぐ事が無かったNHKも国会で法案が新しく出来れば受信料の問題も動き出すのかもしれません。
障がい者のバリアフリー化も国会議員が率先して提起していけばハンデキャップを持った人にも住みやすい環境が整うかもしれません。粗削りですが既成事実を作る事が今年の役務であり、注目される人は「劔の使者」です。扱いを間違うと味方をも傷付けて仕舞いますが困っている人を助ける事に使えば君子と崇められます。
経済面ではかんぽの不祥事は郵便局という看板で人々の信用がマイナスに働いた残念な結果となりました。10月の増税で日銀や財務省に対する人々の不満も増し中小企業が納税できず倒産するスピードも早まります。
それまでに財務管理をしっかりしてく必要があります。
正に八白土星の変化と亥年の結果が明らかに迅速に出るという事象が散見できました。
後半は変化の残滓作業となりますからこちらの方が価値が高くなると思います。
皆様もお身体にはくれぐれもご自愛下さい。
杉江俊治拝